2014年6月30日月曜日

ポートレイト

市内で配布されているフリーペーパーからインタビュー取材をうけ
スタッフを代表してあそび工房のことをお話ししました。

あそび工房の活動写真を数点と、私の顔写真も掲載するということで
インタビュー時に私の写真も撮ってくださいました。
でも写真を撮られることに慣れていない私。
送られて来た原稿と写真を見て「……」。
どうしても私の写真って必要なんだろうか、
絵本作家ののぶみさんが描いてくれた似顔絵じゃダメかしら、と思いましたが
毎号、インタビューを受けた方の写真が掲載されているので
写真を掲載しないことは出来ないだろうと
子どもたち一人ずつと、会社から帰ってきた主人に
私のポートレイトを撮影してもらいました。
家族だとそれほど緊張せずに撮れました。

写真を撮りながら「あ、今の(表情)○○ちゃん(私の妹)に似てる~」
「今度は△△ちゃんに似てる~」と上の子。
そりゃあ兄妹だから似てるよねぇ。
結局、紙面に掲載される写真は末っ子の撮ったものになりました。

イベントでよくご一緒するカメラマンを思い出し
私は家族だから何とか緊張せずに写真を撮ってもらえましたが
子どもたちの素直なのびやかな表情を一瞬も逃すことなく写真に残す彼らは
ほんとにすごいよな、と思いました。

2014年6月29日日曜日

あそび工房物語 6

「いわきアリオスを子どもの遊び場にしよう!!」と月に一度活動しているあそび工房。
あそび工房での様子などは
“いわきこどもプロジェクト http://iwakikodomo-pj.blogspot.com/
のブログで紹介していますが
2014/3/8に福島藝術計画のフォーラムで事例発表した内容を元に
こちらではあそび工房のスタッフのことなどについて紹介したいと思っています。



あそび工房のスタッフはお子さんを連れて参加する方もいらっしゃいます。
あおりんさんと同じく、当時保育園児だったお子さん二人とパパさんとママさんと
ファミリーで参加している方もいます。
              
パパはカロム担当

ママは読み聞かせ担当

アリオスのFacebookページの写真をお借りしました

娘ちゃんも「ここちゃんのけいとであそぼうコーナー」の店長さんとして頑張りました。
お客さんと一緒にポンポンやストラップ作りをしたそうです。

最初に予想していたよりもずっと多くのお客さんがきてくれたので
教えるのが時間がかかってしまったそうです。
半分くらいが男の子の参加者だったのが新鮮だったとか。(キッズ★アリペ vol.22より)

どうして娘ちゃんが店長をする気持ちになったのかママに聞いてみました。

「ずっとあそび工房に参加していて楽しかったからだと思います。
家で一緒に編み物をしていて、最初は難しくてキレてましたけど、
ちょっと編めるようになって、すごい褒めたら、得意になって。
あと、キラ☆りんこさん(お友達で同級生)が、店長さんやっているのみて、
自分もやりたいと思ったのかな?」
      
こちらはママの手作りフラおじさん♪
ちなみにママが編み物を始めたのは…
娘ちゃんと家で一緒にあそべたらと思ったからだそうです。
天気や季節を気にせず、家でゲームやテレビ意外のあそびをしたくて。
でも結局ママだけがはまっているみたいですね。


2014年6月28日土曜日

客家(はっか)の教え

有名な客家(はっか)の教え。
右隣の人に親切にされたら、左隣の人に親切を返していきます。
すると背中から運が巡り、それはいつまでも循環していきます。

日本の恩送りの考えと同じですね。

2014年6月27日金曜日

結婚してよかったと思ったこと

結婚してよかったと思うことは
私達を心配してくれる人が倍に増えたこと。

結婚する前は私のことは私の両親や親戚が
いつも気にかけて、心配して、何かあったら相談にのってくれた。
結婚したあとは、私の周りの人達だけでなく
主人の両親や主人の親戚もまた同じように
心配してくれたり、力になってくれる。

震災の時には義母の親戚や友達や
本当にいろんな人に助けてもらい
未だに心配して遠方の新鮮な野菜を送ってくれる人もいる。

私たちを大事に思ってくれる人が倍に増えた。
それは本当にすごく嬉しいしありがたいことだと思う。
結婚してよかったと思う。

2014年6月26日木曜日

茶道の極意 七則

絵本「いのちのまつり」の作者草場一壽さん。
佐賀にある「草場一壽・陶彩画美術館」の改装工事も進んでいるそうです。
この美術館の目指すのは、おもいやり。


茶道の極意、七則は、

一、茶は服のよきように点て、
二、炭は湯に沸くように置き、
三、冬は暖に夏は涼しく、
四、花は野の花のように生け、
五、刻限は早めに、
六、降らずとも傘の用意、
七、相客に心せよ

「そんなことは誰でも知っている」に返して利休は

「この心に適う茶ができるのであれば、あなたの弟子になりましょう」と。





ステキな美術館になるんだろうなぁ。

2014年6月25日水曜日

お母さん、貸し切り

日曜日の朝。上の子ちゃんと真ん中ちゃんがそばにいなかったので
「お母さん、貸し切り!!」と末っ子が抱きついてきた。

お母さんを独り占めできることを末っ子は何も考えずに「貸し切り」と言ってきたのだけれど
なんとも絶妙に表現しているなぁと感心した。

2014年6月24日火曜日

生たまごちゃんとゆでたまごちゃん

上の子ちゃんは生たまごみたいだな、と思う。
一見、堅い硬い殻に覆われているから強いように見える。
けれどもその殻の下はとても柔らかい。

真ん中ちゃんはゆでたまご。
周りがぼよよんと柔らかいから心配だけれど
中身の黄身はしっかりと固い。

生たまごちゃんみたいに強そうに見えると「大丈夫だろう」って放っておかれがち。
だけどゆでたまごちゃんだと「大丈夫かな?」って心配してもらえる。
でも本当に心に寄り添って欲しいのは生たまごちゃんの方なんだろうと思う。

2014年6月23日月曜日

「人は石垣、人は城」

これは 「風林火山」 で有名な武田信玄の甲陽軍鑑(武田信玄の戦略・戦術を記した
軍学書)の中にある勝利の礎 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
からのことばです 
 
勝敗を決する決め手は、堅固な城ではなく、人の力である。
個人の力や特徴を掴み、彼らの才能を十分に発揮できるような集団を作ることが大事
である。
また、人には情理を尽くすこと,誠実な態度こそが相手の心に届き、人を惹きつけること
に繋がり、逆に相手を恨めば必ず反発にあい、害意を抱くようになる。
 
おおむねこんな意味で、至極ごもっともなことです。




人は何にもまして強力な力を発揮すると思う。
その力は立派な石垣や城に匹敵するほどのもの。
いつも周りの人に誠実に対応していれば
きっとそれは自分に返ってくる。
そして一生懸命に活動していれば必ず協力してくれる人はいるし
困ったときに手をさしのべてくれる人も必ずいる。
丁寧な対応は相手の信頼を得ると思う。
少しずつ周りの人達と信頼関係を築いていくことや
縁あって出会った人達をとても大事にすることがどんなに大切か
私も少しずつ分かってきた。

2014年6月22日日曜日

私の名前 たっちコラムno.46

こどもたっち 6月号発行になりました。今月号のコラムです。

 私の名前は母が、ひとつ上の兄の名前は父がつけました。母は女の子が生まれたらこの名前にしようとずっと決めていたのだそうです。でも幼い頃の私は「もっと違う名前がよかった」と母に言っていました。今思えばとってもひどいことを言っていたと思います。思春期になり、自分に自信がない私は自分の名前がもっと好きではなくなりました。現実の自分を受け入れられず、違う自分になりたいと思っていたのでしょう。 
 でも「私の名前、悪くないな」と思えるようになりました。以前ご紹介した詩「名前は祈り」。この詩は黒川伊保子さんの「怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか」をヒントにして書かれたもので、そこから黒川伊保子さんに興味を持った私は彼女の本を何冊か図書館から借りて読みました。その中で「音相(おんそう)」という考え方を知りました。ことばは意味だけでなく、意味にまつわるイメージや雰囲気を伝える働きがあり、そのイメージや雰囲気は音によって伝わるのでそれを「音相」と呼ぶのだそうです。
 私の名前からどんなイメージが連想されるのかを音相の本で調べてみました。そこに書かれていることを読んで「やっぱり私の名前はこれしかない、この名前でよかった」とやっと思えました。何度もその名前で呼ばれることで、私は私になってきたのです。「名前は祈り」の詩がより一層味わい深く感じられ、大事な人達の名前がとても愛おしくなりました。

音の持つイメージの観点から赤ちゃんの名前を考える、という新しい視点に立った名付け事典。
自分の名前の音はどんなイメージを人に与えるのか?名付けをするしないにかかわらず、
自分の名前のイメージを調べるのも面白いです。市立図書館にあります。


2014年6月21日土曜日

映画「ピアノレッスン」

アリオスで発行しているCINEMA PRESS のvol.3で
今まで観た映画で印象に残っているものについて書いたことがあった。

私は20年くらい前に観た「ピアノレッスン」という映画を選んだ。
音楽も気に入ったのでピアノのサントラCDも買ったほど。



 海を渡り、私生児の娘とピアノとともに嫁いでくるエイダ。彼女は娘とピアノにしか心を開かない。しかしピアノを取り上げられてしまい、彼女は夫とは正反対の、野生人のような男ベインズの元に通いピアノレッスンをする。最初は嫌々ながらもピアノを早く返して欲しくてレッスンをするのだが、ベインズのストレートな愛情表現にやがては彼の愛を受け入れてゆく。しかし夫もまたエイダを愛していた。
 あんなに熱烈に求愛されたら女性の気持ちは揺れ、傾くだろう。「そのうち僕を好きになるさ」という夫が自分の気持ちを妻に伝えていたら状況は変わったかもしれない。男性諸君、好きだったら好きとストレートに伝えることを私はオススメする。



字数の制限があったので書いたのはここまでだったけれど、話のラストの方に出てくる
エイダがベインズと新しい地へと旅立つ時、カヌーに一緒に乗せていたピアノを海に落とすシーン。
あのシーンもまた印象深い。
ピアノに絡みついていたロープがエイダをも海へ引きずり込み、ピアノと一緒に海に落ちていく。
ここで話は終わるのかと思っていたら、絡まっていたロープをはずして海面に浮かび上がってくるエイダ。
そしてピアノは海底に向かって落ちていく。


そのシーンを境に、今までの心を閉ざして娘以外とは決して口をきこうとしなかった暗い女のエイダから
新天地に渡ったエイダは明るく談笑し
前夫が愛の為に切り落とした指の代わりにベインズから贈られた義指を使ってピアノレッスンをする。

ああ、エイダは一度死んだのだな、と思った。
あのピアノと一緒に古いエイダは死んで、新しいエイダが生まれた。
多分、あそこであのままピアノと一緒に海の底に行ってしまうという選択もできたけれど
彼女は「生きる」という選択をした。
ベインズとの愛情はあんなに硬く、冷たい氷のような心を溶かしたのだと思った。

今まで不遇のように見えたエイダの人生も、本物の愛に出会ってやっと幸せになれたんだと
そう思った。


映画「ピアノレッスン」の詳しいあらすじはこちらにあります。
http://eiga-kaisetu-hyouron.seesaa.net/article/136881888.html



2014年6月20日金曜日

有名になってよかったわ

今日、テレビを見ていて思い出した言葉。


有名になってよかったわ、こういう仕事ができるもの。本当に価値ある仕事がね。

オードリー・ヘップバーン


あるサッカー選手が自信が出版した本の印税を全て寄付し、その寄付金のおかげで
震災で壊れてしまった幼稚園の園舎を建て直すことができた、という話。

有名だからできた仕事だな、と思った。

2014年6月19日木曜日

主人と結婚する前の話。
結婚、ということも意識していなかった頃の話。

私は弟とは年が16歳離れている。
私と主人と幼稚園生だった弟と三人で遊園地に行ったことがあった。
弟は有料の乗り物よりもアスレチックパークで遊ぶ方が楽しかったらしくて
アスレチックパークを元気に走り回っては遊具によじ登ったりしていた。
その弟と一緒に主人も走り回っていた。

そんな姿を私はベンチに座って眺めていた。
主人と結婚したいほど好きとか、そこまで考えていたわけではないけれども
ぼんやりと「ああ、この人が私の、やがて生まれてくるであろう私の子どもの
お父さんだったらいいな」と思った。
そう思いながら頭の反対側では「ああ、女って面白いな」と思った。

子どもと母親はいつもセットで
父親がいなければ子どもも生まれないのに
父親の存在なんてまるで頭になく
でも自分は子どもをいつかは生むだろうと
「この人が父親だったら子どもも幸せだろうな」って
相手のことを好きかどうか考えもせず
ただ子どもが幸せだったらそれでいい。
母親にとって意識の上ではどこまでも子どもと果てしなくひとつで
父親に対してはある種、冷めた部分がある。
なんだかそう思う自分が「女」だなぁと思った。

2014年6月18日水曜日

バランスのとれたいい関係って

バランスのとれたいい関係って、精神的にも経済的にも自立していて、ひとりでも十分楽しく生きていけるんだけど、ふたりだともっと楽しい、いい時間が過ごせるという関係じゃないかと思う

村上 龍

2014年6月17日火曜日

この時期になると思い出すこと

中学校ではこの時期、部活の大会が市内各所で行われる。
私も陸上大会の付き添いで何度か大会を見たことがある。

トラックの内外でいろんな競技が行われていて
みんな一生懸命でカッコイイと思った。

その中でも私の目をひいたのは走り高跳び。
ひらひらと蝶が舞うように体が空を舞って
バーを飛び越えるとマットに体が吸い込まれていく様が
何とも美しかった。

2014年6月16日月曜日

「毎日は素敵工場」 windy

初めての人と会う時も

私たちは初めての自分で

会いにいくわけじゃない



今まで経験してきた無数の喜びや悲しみ

それらで出来上がった自分で会いに行く



今日あの人が素敵と思ってくれた

私の長所は

何年も前の涙を原料に作ったもの



今日ある人が褒めてくれた

私の特技は

随分前の失敗が原因で編み出したもの



悲しいことも悔しいことも

それをいい経験と感謝して磨いていれば

人に素敵と思ってもらえる自分を

いくらでも作り出せる



毎日は素敵工場

そう思って生きてる人には

素敵なミラクルがたくさんついてくる



そして初めて会った人に

素敵と褒められた時

初めて気づく

あの時の涙はダイヤモンドの原石だったんだと



windy


http://plaza.rakuten.co.jp/fuko510/diary/200810110001/

2014年6月15日日曜日

ちちのお勉強しているところが好きです

子どもが家庭科の授業で、自分史をつくるから小さかった頃の話をして欲しい、
というので、子どもの小さかった頃の話を思い出しながら話をしました。

幼稚園に通っていた頃、子どもが描いたお父さんの似顔絵が、あるスーパーに展示されると聞いて
家族みんなで見に行ったことがありました。

大きく描いた顔の下に、先生が子どもから聞いて書いたと思われる言葉がありました。

「ちちの おべんきょうしているところが すきです」

その頃、資格取得の為に会社から帰ってきてもずっと勉強していた主人。
何も言わなくても子どもなりに、お父さんは家族の為に頑張って勉強しているのだと分かったのでしょう。
子どもの応援もあり、その後、試験に合格し無事に資格取得ができました。

2014年6月14日土曜日

相手への気遣い

昨日「あー、やっちまった」と思ったことがあった。

今はネットで検索すればある程度自分でも調べることができる時代。
「これはどこで入手できるんでしょうか?」と聞いてしまった。
自分でネット検索すればヒットしただろうに
自分でやらないで相手にやらせてしまった……。

以前、私が何でもすぐに自分で考えることなく
「それは○○なんですか?」と質問ばかりしていたら
お手本にしている素敵ママさんから
「今はね、ネットで検索すればだいたい出てくるものよ、
まずは自分でやってみて、それでも分からない時は質問するの。」
と言われたことがありました。

質問された方は質問した人のために一生懸命資料を探すでしょう。
でも、それは相手の時間を自分の為に使わせてしまうことにになる。
だから自分でできるところは自分でやる。
相手に余計な時間を使わせない、そういう気遣いって大事じゃない?と。

ちょっとキビシイなぁ、とその時は思ったけれど
私もそういう心遣いができるような人になりたい。

2014年6月13日金曜日

挨拶のこと

小さい頃の私は内弁慶で恥ずかしがり屋で引っ込み思案だった。
そんな自分をよく覚えている。
そして今でも人見知りなのは変わらない。

それでも、周りの大人を見ていて、あ、こういうときはこういう挨拶をするんだ、と
見よう見まねで私も少しは大人な挨拶ができるようになってきた、と思う。

「いつもお世話になっています」とか「先日はお世話になりました」とか
「今度、○○でお世話になります」とか
そんなひと言を先に口に出してから本題に入ると相手も気持ちがいい。


子どもにどんな風に育って欲しいか?と聞かれたら
やっぱり「気持ちのいい挨拶ができる人」になって欲しいな、と思う今日この頃。



2014年6月12日木曜日

憧れの街

中学生の頃、新井素子さんの小説に出会った。
面白くてすぐにのめり込んで、彼女の作品を読みあさった。

新井さんが住んでいる西武線沿線が舞台になることが多く
「石神井」や「飯能」の地名がよくでてきた。
はじめの頃はその地名をなんと読むのかも分からないくらいほどだった。
でも、よくお話の中にそれらの地名が登場するので親しみもわいてきて
それが実在する場所であると知ると
いつか行ってみたいと思うようになった。

時は流れ、新井さんの小説も卒業もしたけれど
結婚してまさか自分が西武線沿線の街に住むなんて
新井さんのお話に登場していた街に住むことになるなんて
あの中学生の頃の自分は想像しただろうか、と時々思う。
まさか、まさかね、と。
今はもう、西武線沿線の街には住んでいないけれど
もしかしたら、あの中学生の頃から私は
やがて大人になって 西武線沿線の街に住むということが
決まっていたのかもしれないな、と思う。

2014年6月11日水曜日

ラジオのパーソナリティの声

 私は車で移動するときは地元のFM局の番組を聴いている。お気に入りのパーソナリティの人がいて、彼女の声が流れるといつもいいなぁ、と思う。女の子らしいとってもかわいくて透き通るような声。私がこんな声の持ち主だったら、王子様に会いに行くための足と交換してあげるよ、といわれても交換したくないだろうな。

2014年6月10日火曜日

今を大切にしつつ花開くときを夢みる

一番上の子がいろいろ質問をしてきた。
私が小さかった頃、お母さんは私がどんな子どもになって欲しいと思って子育てしてきたの?
私はどんな子どもだったの?
私がどういう性格の子どもだってその時点で分かっていたの?

どうしてそんなことを聞いてきたのかは分からないけれど
子どもが小さかった頃のこと話した。


そして、二人目が生まれた頃のことも思いだした。
二人目が生まれて「ああ、この子はどんな顔になるのかな?どんな性格を持って生まれたのかな?」
まだ生まれたてで、これからのことがまったく予想できなくてワクワクしていた頃。

そしてちょうどその頃、義母からもらって読んだ本の中の一節が自分の思いと重なったことも思い出した。



今を大切にしつつ花開くときを夢みる

 最近我が家の居間に、かな文字の書の額をかけました。先年ガンで亡くなった私の姉の最後の作品です。
 「花のつぼみがひらくところをみたいとおもっていた」
というこの書を朝夕ながめながら、いのちを育てるものの心を考えています。
早くみたいと思っていても、蕾を手で開くわけにはいきません。待つよりほかないのです。子育ても不安ではなく、たのしみに花の開くのを待ちましょう。大きな花でなくてもよい。それぞれにふさわしい花であってほしいと思います。どの子にもその子にふさわしい未来が開けると夢みつつ、世話を忘れないように。ときに忘れて、しおれたようすにおどろいている私たちおとなの、足りない部分を神様がお助けくださいますように。

津守房江 「はぐくむ生活」

2014年6月9日月曜日

親が子供の心に情熱を残してあげることができたら

親が子供の心に情熱を残してあげることができたら
それは最高の形見になるだろう。

子供は素晴らしいエネルギーをもって
人生に取り組むことができるからだ。

トーマス・エジソン

2014年6月8日日曜日

宝物

小さい頃、道路に落ちていたガラスのかけらをキレイだと思って拾ってきたことがあったっけ。
主人もやっぱり小さい頃、同じようなことをしていたと言っていた。
やっぱりそうだよね、子どもの頃はそうだったよね、と話していたら
末っ子が空き地で「きれいな石があるんだ」と見つけて大事そうに持って帰ってきた。
多分それは家を解体したときにでた、ゴミ。
でも子どもにとっては大事なものになるんだね。
そうそうあの頃は私も、道路の水たまりにオイルがこぼれて虹色に光っているのを見ても
「わぁ、キレイ!!」って大喜びしていたな。
息子が見つけてきた宝物を見て、私も幼稚園に通っていた頃の自分にタイムスリップした。

末っ子が拾ってきた宝物




2014年6月7日土曜日

添い寝

末っ子はまだまだ添い寝が嬉しい年頃。
「早く寝なさいよ」といって促してもなかなか寝付けないときもある。
しようがないなぁと思って私が隣に横になると
(子どもよりも私の方が先に眠ってしまうし
そうなるとやりかけの仕事もそのままで朝になってしまうから)
末っ子の「嬉しくて、嬉しくてたまらない」という気持ちがバシバシ伝わってくる。
こんな幸せな気持ちで眠りにつけるなんて
あー、なんてこの子は幸せなんだろう、と思う気持ちと
あと何年、こうやって親にそばにいて欲しいと思ってくれるんだろう、と思う。

2014年6月6日金曜日

2014年6月5日木曜日

小さかった頃の写真

私は月に一度発行されるフリーペーパー こどもたっち のコラムを担当しています。
コラムには文章の他に写真も一点用意することになっています。
小さかった頃の子どもの話をコラムでするときは、もちろん写真もその頃のものを使います。
コラムの内容を考えながら写真を探すのですが
いろんな写真を見ながら、あんなところに行ったな、家の中でこんなことがあったな、
沢山の写真を見ながら思い出します。
特別なことがなくても子どもの横で満面の笑みを浮かべて写真に収まる主人。
主人の顔を見て私は写真の中の子どもたちに呼びかけます。
「君たちはこんなに愛されているんだよ」と。

2014年6月4日水曜日

夕飯メニューのリクエストのこと

子どもの気持ちを受け入れることで、一番簡単なのは
子どもが「今日の夕飯は○○がいい」って言われたら
それを作ってあげることだって何かの本で読んだことがある。
佐々木正美先生の本かと思ってちょっと探したんだけれども
ちょっと見つからなかった。

毎回はリクエストに応えることが難しくても
希望に添えることができるときは
「○○がいいなら、じゃあ、それにしようか」って言ったり
「あー、△△食べたいなぁ」って子どもが言ったときに
夕飯にそのメニューが出てきたりすると
「あ、ほんとに作ってくれたんだ」って子どもも喜ぶ。

時には主人までもが自分の希望通りのメニューが食卓に上ると
子どものように大喜びする。

いつもはできないけどね、でもなるべく君たちの希望を取り入れるようにするよ。

2014年6月3日火曜日

自分が子どもだったころを思い出そう

ある調味料メーカーでの有名なお話です。
営業社員が売り上げが伸びずに悩んでいました。

「どうしたらもっと売れるんだろう?」
陳列の仕方が悪いの?
パッケージデザインがイマイチなの?
価格設定が間違いなのかも?

どの質問に答えてみても
当を得た答えは得られません。

そこでほんの少しだけ質問を変えてみました。


「どうすればもっと使ってもらえるだろう?」


そこで得られた答えは、、


『調味料が出る穴を2倍にしてやればいい』


でした(笑)

たったこれだけで売り上げは数倍に跳ね上がりました(^^)


少し質問を変えただけで、
今までに得られなかった答えが得られたのです。


「どうしたらヤル気になって勉強してくれるんだろう??」

「どうしたら優しくて思いやりのある子になるのだろう?」


きっとこんな質問では
子どもの気持ちを育ててあげることはできないでしょう(^^;)

いろいろやってもうまくいかないときには
そんな「自分自身への質問」を
変えてみるのもいいかもしれませんね♪

子育てにおいて特に大切なのは
「自分が子どものときに親にどうしてほしかったのか」

そんな質問ができれば、
とてもシンプルで簡単な答えが見つかるんだと思います。


自分が子どもだったころを思い出そう




2007/7/24配信 成瀬勝博 「成功する育児」~家庭教育の基本とは?!~ メルマガより 


2014年6月2日月曜日

うちのおぢさん

結婚したばかりの頃
他の人に主人のことを話すときにどう呼べばいいか
上手い言葉が見つからなくて
今は「うちの主人が~」と簡単に言えるけれど
その頃は恥ずかしくて主人だなんて言えなかった。

それで私は苦しまぎれに「うちのおぢさんが~」と
主人のことを言ったら(とりあえず5つ向こうの方が年上だし)
先輩主婦の人達は一瞬、私が誰のことを言っているのか
分からなかったらしく
ちょっと間をおいた後にみんなが一同爆笑したことがあった。

あの頃の私は初々しかったなぁと思う。


2014年6月1日日曜日

I miss you   MULTI MAX

夢だけ追いかける それがあたなの海だから
生き方変えてまでも 船を出す

輝いた月のように あなたを照らすから
どんな嵐が来ても 導いてあげる

I miss you 愛されてること それだけは忘れないで
遠く離れても 側にいるから

もう少しこのまま あなたを感じていたいの
目の前に映ものは 白い冬

きらめいた星のように 私を見つめて
心壊れそうな夜も きっと怖くない

I miss you 重ねた唇の ぬくもりを忘れないわ
二人の間に 終わりはないから

ほほをつたう涙が
雪に変わらないように
離さないで・・・・・・
離れないで・・・・・・
迷わないで・・・・・・

愛されてること それだけは忘れないで
遠く離れても 側にいるから

重ねた唇の ぬくもりを忘れないわ
二人の間に 終わりはないから

愛されてること それだけは忘れないで
遠く離れても 側にいるから

重ねた唇の ぬくもりを忘れないわ
二人の間に 終わりはないから



高校生の時、友達がいいよってすすめてくれた歌。
いい曲だったなぁってふっと思い出した。